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グレンロセス

ソサエティ初ボトリング 1989年
機械の中のゴースト グレンロセス蒸留所での奇妙な出来事。 蒸留所は、墓地に隣接されていることを覚えていてほしい。 そして蒸留所で昔働いていた、多くの従業員がそこに眠っていることも覚えていてほしい。 この墓地には、ローゼスで楽しい人生を過ごした多くの人々の魂が、地上に残ることを選択しているようだ。 時折、この魂は、最も厳しいハイランドの冬の夜にも蒸留所を訪れた。 ちょうど蒸留所が100周年を迎えようとしている時にもその魂の訪問が見受けられた。 勤務中のスチルマンはスチルルームにある静かな存在に気がついた。 彼は即座に暗闇の中にいる、長い白髪の訪問者に気がついた。 それ以前よりローゼスの周りではよく知られた佇まいの訪問者であったため、この友好的な訪問者の出現に驚いたりはしなかった。 グレンロセス蒸留所の元マスターブレンダーと蒸留師による1980年に起こったことに関する面白い説明が始まった。 1878年、スペイサイドの心臓部「ローゼスの谷」を下った、ローゼス村に蒸留所は建設された。 それに隣接し、それを見下ろす峡谷の反対側を登ったところに古い墓地がある。 ツアーガイドたちは 右と左の両方からスピリッツが発生すると説明している。 1978年に蒸留所が100年を迎えようとしていたその頃、その所有者であるハイランド・ディスティラリー社は、1979年11月にハイラム・ウォーカー社(カナダ)による敵対的買収の対象として存続の危機を迎えていた。 結果として、1980年1月にその買収は、独占合併委員会によって無効と判断された。 同年末には、グレンロセスに既存の2つのスチルルームと、古いモルトの納屋とが組み合わされて出来た新しいスチルハウスが開設され、蒸留器の数が6機から10機に増えた。貯蔵、粉砕および発酵のための設備もまた拡大された。 奇妙なことに、新しく導入された第3スピリットスチルは、不具合によって稼働していなかったことがのちに分かった。 私たちの物語を再開する。 奇妙な訪問者の正体について、蒸留所の労働者は、かなり明白な該当者が思い浮かんでいた。 それは「バイウェイ」であった。バイウェイ・ビアワ・マカランガは、1894年にグレングラント蒸留所の所有者であるジェームズ・グラントによって、アフリカのマカランガ州の道端(バイウェイ)で孤児として発見され、ローゼスに連れ帰られ、養子として育てられた。 彼はローゼス村の学校に通い、グラント氏の執事として働いた。 グラント氏が1931年に亡なった後も、彼の遺言でビアワに、グレン・グラント・ハウスの部屋と、地元のホテルから食事、そして蒸留所から石炭が支給された。 ビアワは地元でもよく愛された人物であった。 「彼は強いローゼスのアクセントで話し、優しく、親切で、村人全体の愛情を勝ち取った青年であった。 グレングラントの新しいビジターセンターには、彼の素敵な写真が飾られている。 1972年1月、85歳の時に彼は病気のためアベラワー病院で亡くなり、ローゼス墓地に埋葬された。 グレンロセスの亡霊の話は、ダブリン大学の薬理学教授であり、超常現象の専門家である、セドリック・ウィルソンの興味を引いた。 ウィルソン教授は医学的なキャリアの中で、地上に固着されてしまった患者の魂が、最終的な解放によって緩和された、多数の症例に遭遇してきた。 彼はまた、古代の遺跡がなんらかの意図を持って直線的に並び、一直線に聖地を刺し貫く神秘的な「まっすぐな光の道」となる“レイライン”の専門家でもあった。 魂の出現は、しばしばレイラインと関連していると教授は考えた。 これは、グレンロセス蒸留所が、ローゼス城から墓地を通って、エルギン近くのコールバーンストーンとマレイ州にある北ピクト族の首都のバーグヘッドに繋がるレイラインの上にあったことで、彼の仮説を実証するにふさわしい判例となったのだ。 彼自身、スペイサイドに行ったことが一度もなく、この調査の魅力のひとつは「スコッチウイスキーの謎を、彼の特定の角度から調査すること」にあった。 ハイランド・ディスティラリー社の経営サイドは疑心暗鬼の中、生産中でないサイレントシーズンに、教授が蒸留所を訪問することを許可し、彼は1981年8月に蒸留所に到着した。 会議のためにローゼスに着いた日は、明るく晴れていて日光浴に最適の日であった。 1時間足らずで、教授は条件を把握し、スチルハウスの下を通過する、破損したレイラインに、細心の注意を払いながら作業を開始した。 レイラインの修復作業は、工場の技術者の助けを借りて迅速に実行され、スクラップとなっていた銑鉄を取り出し、欠陥部の両側をつなぐように、地中に2つの鉄版を置いた。 この作業の完了によって、地上に固着した魂を刺激するように設計されていた。 レイラインに沿ったエネルギーの流れの再開を通じて、静けさが回復されたことに、その固着した魂が気付くとされる。 事実、現場にあった緊張が緩和されたため、以前になかった沈黙がその場に降り立った。 彼のこの方法は、壊れたレイラインの混乱した力の存在に精通する建築家にはよく知られている。 エネルギーの経路は、水汲み棒に似たダウジング棒で迅速に確認できる。 この場合、新しい蒸留器のスチール基盤に起因すると思われる「断線」や「リダイレクト」の原因が、鉄の棒を打ち込んだことによって、エネルギーの流れを修正することが出来たのだ。 特に電子機器を新しい建物で使用する場合には、このようにエネルギーの流れを中立化するために、レイラインの専門家に相談する建築家が増えている。 レイラインや地球の神秘に対する、人間の自然な感受性のおかげで、教授が地上に固着した魂との接触を試みる理想的な条件をもたらしている。 すべての工程を終了するために、教授はスチルハウスに歩みを戻し、20分ほど一人でその場に立ち止まった。 その後、彼は大股で素早く廊下に戻り、後方にある丘陵地帯の墓地に視線を集中していた。そしてさらなる沈黙が続いた。さらに10分後、教授は私たちの もとに戻るや否や、彼の使命が達成されたことを静かに伝えた。 地上に固着していた魂は、特定の場所に出発することに同意したのだという。 その後、グレンロセスの周辺では彼の掛け合いののちに固着した魂は見かけられなくなったという。 私たちはこの話で何を理解できるというのか? 壊れたレイラインとそれらによって影響する事象。 自縛霊の存在や、エクソシズムの儀式による解放は、地球の神秘や、秘技的な科学を専攻する学生だけでなく、建築家や聖職者にもよく知られているという。 バイウェイの出現は、敵対的買収の脅威に対抗するためでなく、壊れたレイラインによって促された可能性が高いと思われる。 グレンロセス蒸留所の株主にとっての喜びは、株式市場での好評価だけにあるわけではない。 バイウェイを育てた蒸留所ではない、グレンロセス蒸留所に対する、彼の親切な魂の存在もまた、喜びとして捉えることが出来るのではないだろうか。 我々ソサエティはこの興味深い話の中で、このことが最も心に響くものがあった。 ローゼスにあるレイラインの経路に関する調査は、教授にその北部にあるプラスカーデン小修道院で起こる、もう一つの事象の存在を明らかにした。 彼の自然な感性から、彼はミルトンダフ蒸留所の近くにある小修道院の下にあるレイラインが、この修道院で起こる事象に関連していると考えている。

1878
稼働中
Aberlour, AB38 7AA
スペイサイド