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デューンストン

ソサエティ初ボトリング 1990年
ディーンストンでウイスキーのベールを選ぶ アンソニー・トゥルーンは、綿工場に隠れたハイランドシングルモルト蒸留所を探検した。 ロードB沿いにあるパース州のドゥーン村の近くで、そこからさらに狭いロードBを進み、ティース川のせせらぎの端っこに18世紀からある綿工場がある。 その見た目は明らかに綿工場である。 現在スコットランドで稼働している綿工場を見つけるのは難しいが、その大きな看板と、柔らかい羽毛のように上がる蒸気がこの場所がまだ稼働していることを示している。 しかし、その内部には秘密があった。 これはウイスキーの蒸留所になり変わった綿工場であり、世界で高い需要を生み出す全ての要因がそこに揃っていた。 ウイスキー製造のために必要な豊富な水は、森林に囲まれた軟水を使用し60年代半ばに起こった蒸留産業における好景気なども後押しした。 その場所で作られるウイスキーはディーンストンと呼ばれ、ソサエティのメンバーはその名前になじみがないかもしれない。 しかし、ウイスキー蒸留所の外観の写真を見ただけでは、そこが蒸留所であると想像することはほとんど出来ないであろう。 まず、1785年に戻ってみよう。 それは、スコットランドの国家統計局によって「王国で最も完璧な機械」を持つとされた綿工場が生まれた時代である。 その工場の所有者は4人の兄弟であり、そのうちの1人は水力回転構造を発明した英国人のリチャード・アークライトと協力関係にあった。 ここに興味深い話がある。 英国人は、自国より優先して若いスコットランド人にその技術を教えていた、彼の発明を妨害しリチャード卿を悩ませていたというのだ。 この綿工場は、1965年に生産が中止されるまでに何人かの手に渡った。 その後、莫大な貯蔵スペースを持つ大きな複合施設は売り出され、近くのタリバーディン蒸留所を運営するブロディ・ヘップバーン社の関心を得た。 彼らにとって貯蔵倉庫の確保に理想的な場所であったのだ。 しかし、彼らがその場所を調査していくにつれて(ウイスキー産業にとって追い風であった時代)、彼らの関心は必然的に新しい蒸留所の創業に変わっていった。 ティース川の水は、ロサックスの支流から花崗岩を通って濾過され、ピート層の上を流れてきたもので、綿産業のためだけには良すぎるものであった。 また川の水流を利用し2つのタービンを介して工場に独自の電源を供給していた。 そのうちの1つは20世紀半ばから正常に稼働し続け、全国高圧送電網に余剰分を売ることができるほど多くの電力を生産したという。 水力は1.5マイルある人工橋からタービンに送られ、アーチ型の素晴らしい石造りの300メートルのトンネルを通って川に戻る。 水は2つの巨大な鋳鉄製の水路に到着し、4つの巨大な上掛け水車にそれぞれ80馬力で供給された。この産業革命の宝石は後の世紀にも適応された。 ブロディ・ヘップバーンは綿工場のオーナーと協力し、この素晴らしい工場の取引が合意されてから、わずか10ヶ月後に最初のモルトウイスキーの生産を開始したと分析される。 最初のドラムは、「オールドバノックバーン」と呼ばれる5〜6年もののシングルモルトとしてボトリングされ、「ティースミル」という名前のブレンドに使用された。 新会社として立ち上げられた、ディーンストン蒸留会社の戦略は、確立されたブレンドウイスキーブランドを購入し、自社のモルトを主要モルトとして使用することであったがこれは実現されなかった。 1972年にはディーンストンとタリバーディン蒸留所の両方がインバーゴードン蒸留会社の一部となった。 1982年に、ディーンストンはモスボール(一時休止状態)となった。 それでは、現在のディーンストンの話をしよう。 1990年に蒸留所は、グラスゴーのブレンダー兼ボトラーであるバーンスチュアート社の蒸留部門拡大のために買収された。 (同社の大望は今年7月にマル島のレダイグ蒸留所を購入したとことで強調された)。 ディーンストンの新しいマネージャー、イアン・マクミランは、ティース川のそばにある新しく買収した施設の調査をした最初の人物の1人でもあった。 綿工場の中に隠された休止蒸留所はほとんどの施設が使用可能であったが、改良しなければならない部分もあった。 その1つは、6つある60,000リットルのウォッシュバックを満たすシステムである。 ウォートは、庭のホースのような銅とプラスチックの、取り外し可能な単一のパイプを介して上からポンプで送られていた。 そのため、最初の仕事は、丈夫なステンレススチールのパイプとバルブを設置し、ウォッシングをより効率的かつ、気品ある方法で行うことと、内部の洗浄システムを組み込むことであった。 しかし四半世紀に渡った調整には喜ばしいこともたくさんあった。 大麦は4つの25トンのモルト・ビンから、1966年製のポルテウス社製のミルで粉砕され、非常にエレガントな木製パネルの部屋に運ばれる。 グリストを運ぶエレベーターと、ほこりや小石を取り出すための装置は、木材できれいに囲われている。 巨大な鋳鉄製の解放された上部分と、真鍮板製の底面をもつマッシュタンは今や存在しないアロア・ファンドリー社によって作られた高品質のものであった。 新しく改装されアイリスを施した自動混合レーキは固定された歯車の回りを回っている。 イアン・マクミランは、これを使用することによって、現代的なロイターの刃を使うよりも、穏やかな混合動作を可能にし、曇りのない素晴らしいウォートを仕上げることができると語る。 ディーンストンの2組のスチルは、大きく球根状で、背も高い。 他ではあまり見られないが、スワンネックから凝縮器までのアームは少し上向きの角度に設定され、より純粋なスピリッツをもたらすよう逆流作用を助けている。 熟成倉庫の1つは、1785年に建てられた、アーチ型の石造りの屋根を持つもので、ブルゴーニュのシャトーのように美しい。 ここではより近代的な“ラック式”が導入されている。 蒸留所には45,000本の樽を貯蔵することができ、そこにある最も古いものは1967年製であるが、それはもちろん、彼らが引き継ぐ以前に蒸留されたものである。 イアン・マクミランが指揮するディーンストンを味わえる頃には、次の世紀になっているであろう。それはどんなものだろうか? 「さらに良くなる」と彼は言った(彼は進歩の過程を確信している)。 初めの数ヶ月の実験の後、彼の目的と生産責任者であるビリー・ウォーカーの目的は、ティース川の柔らかい水に残った、泥炭のフェノールだけを使い、アンガスの、イースト・ロシアン・マレイ社から購入した、ノンピート麦芽をマッシュすることである。 ライトピーテッドで麦の風味を強く持つ甘いウイスキーに仕上がっているという。 ディーンストンの新しい生産の8分の1は、ウイスキーとバーボンのリフィル樽で熟成し、可能であればリフィル・シェリーカスクのウイスキーも使用し、2000年以降にはシングルモルトとしてボトリングされるという。

1965
稼働中
Deanston, FK16 6AG
ハイランド