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タリバーディン

ソサエティ初ボトリング 1986年
不死鳥 ブラックフォードの村は良質な水で有名である。 1488年にジェームズ4世がパース近郊のスコーンでおこなわれる戴冠式のために立ち寄り、ビールの樽を購入した場所でもある。そして1503年に醸造所に王室認可を与えた。1979年には、その土地にある泉から湧き出るミネラルウォーター“ハイランド・スプリング”を販売し始めた。周辺の山岳地域「オコールヒルズ」が良質な水の宝庫であることがよく分かる。 また1889年には、アルフレッド・バーナードが蒸留所を訪れていた。 そこの醸造所を含めた建物は1610年に建てられたという。 醸造と蒸留に熱心なウェールズの土地測量士であったウィリアム・デルメ=エバンズは水質検査の結果を見たとき、そこが蒸留にとって完璧であると理解した。 そうしてその週末には醸造所の建物を購入したという。 デルム=エバンズは、戦争中に結核を患い、療養中に「最新の重力流式蒸留所」を設計した。そして彼の夢はタリバーディンが生産に入った1949年に実現したのだ。 ここは、20世紀に入って最初の蒸留所である。そして、アイルオブジュラ、グレンアラヒーなどが後に続いた。 タリバーディンの名前は、アソールの公爵となったムレーの首長の古い称号で、ジャコバイト軍のタリバーディン伯爵によって有名になった。 1953年頃にはエバンズの健康は再び悪化したため、グラスゴーのウイスキー商であったブロディ・ヘップバーン社が運営し、1971年にインバーゴードン蒸留所に引き継がれた。1973年に1組のスチルを追加導入し、一気に生産量を増加させたが、その20年後の1993年には、アメリカのブランド(JBB)がインバーゴードンを敵対的買収し、タリバーディンは閉鎖した。 スターリング・パースの主要道路の近くグレンイーグルホテルからさほど遠くない場所に、使い古された古びた蒸留所がぽつんと10年間そこに存在した。 ユナイテッド・ディスティラリー社のスピリッツサプライのディレクターであったダグ・ロスは、しばしばその付近を視察し、再開の実現性について疑問を呈した。 「問題は財源である」と彼は私に語った。熟成されたよいストックを購入したとしても、日々の生産コストに見合った、収益に乗せることは難しいのだ。 しかしスコットランドの主要な観光ルートにある蒸留所は、毎日約2万台の車が通過しており、収益の問題を解決した。 ダグ氏はドランブイのセールス&マーケティング・ディレクターを勤めた元同僚のマイケル・ビーミッシュを同伴させ、蒸留所の未来の安定を視野に入れて、近接した土地での販売の拡大と来場者の確保のための施設の充実を図ることで、収益を生み出し、 2003年12月に生産を再開するに至った。 そうしてこの土地に人があつまり、レストランや高級市場向けのショップ、充実したビジターセンターなどができた。 この蒸留所は訪問する価値がある。 私は、インバーゴードンの元マスターブレンダー トレバー・コーワンとタリバーディン蒸留所訪れ、ソサエティのノージングパネルの作成のため1960年代、70年代、80年代、90年代初期の120本のカスクの官能評価を行った。 その品質と一貫性について疑う余地はなく、10年ごとの進化は私たちに感銘を与えた。

1949
稼働中
Blackford, PH4 1QG
ハイランド