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スペイバーン

ソサエティ初ボトリング 1990年
時を忘れた蒸留所 初めてスペイバーン蒸留所を訪れた時より以前から、エルギンからローゼスに下る谷間に静かに佇む蒸留所の存在には気づいていた。 狭い谷間に挟まれ、ちょうどその場所に同化するように作られた19世紀の背の高い建物はその道を通るたびに、その後ろにそびえる深い緑の木々とともに鮮明に浮かんでくる。 スペイバーンの蒸留所責任者のグレハム・マックウィリアム氏に初めて会ったのは、スコッチウイスキー研究機関のウイスキー評価鑑定コースで、ともに一週間過ごした時だった。 私はアメリカに帰る前に、一日予定を設け、彼が主張するとおり、早い朝食と最初のアポイントの間に彼の蒸留所を訪ねた。 1981年にスペイ川周辺の谷を訪れたとき、そこにあるほとんどの蒸留所はビジターセンターを持っていなかった。 蒸留所への訪問は、通常、蒸留所のマネージャーに電話でアポを取り、その後見学をさせてもらうのだ。 この蒸留所見学の一番楽しみは、ウイスキーのサンプル(稀にマネージャーのデキャンターに入ったもの)を嗜みながら、ウイスキーやその業界について語り合うことだ。 小さなオフィスの暖炉に火をくべた暖かい部屋の中で、時に蒸留所が飼ったばかりのまだ慣れていない猫がお供として素晴らしい時間を過ごした。 この経験は確かに私のよい思い出として心に残っている。 スペイバーンの訪問は、他の蒸留所への私の初期の訪問の思い出と、似通ったものであった。 マネージャーのデキャンターは存在せず、スペイバーンでは猫ではなく犬を飼っていたが、私はいつも通りおしゃべりと、素晴らしいウイスキーサンプル、そして輝く炎を見つけることができた。 この蒸留所のおもてなしは暖かく、正直で、歓迎されていると感じられる。 その建物とその蒸留方法に関するすべては、19世紀のルーツに当てはまる。 スペイバーン蒸留所はスペイ川から引き揚げられた石を利用し、実用的でシンプルなデザインで1897年に建設された。 丘陵地にあるため、建物は2階、3階と上に高く建てられているので、蒸留所全体が上方に伸びているように見える。 近くのグランティノの小川は純粋な水源を提供し、数フィート以内にある鉄道線は南とアバディーンへのアクセスをよくした。 蒸留所は1897年11月までには創業していたので、操業はビクトリア女王のダイアモンドジュビリーの日付に間に合わせるように生産を開始したが、12月の最後の週までなかなか生産を開始しできなかった。 大吹雪の中、スチル・ハウスにはドアや窓がはめ込まれておらず、男たちは寒い中外套を着衣して、1897年の『ダイアモンドジュビリー』の日付に、1樽だけウイスキーを詰めたという。 注目すべきことは、この蒸留所はその時代の中で、最も近代的な生産設備が装備されていたことである。 それは、伝統的な手動で行われるフロアモルティングではなく「空気圧式」ドラム式麦芽乾燥機を有する最初の蒸留所であったことである。 建設当時、スペイバーンは最も、近代的かつ技術的に進歩した蒸留所の1つであった。 現在では、ビクトリア朝時代の伝統の遺産として今も現存している。 他の蒸留所が近代化して、生産がコンピュータ化された時も、スペイバーンは伝統に従ってマッシュマンとスティルマンの技術に頼って行われた。 グラハム・マクウィリアム氏は、「スペイバーンは居心地の悪い小さな谷の中で、時を忘れた蒸留所になった」と話している。 最近の旅行でも、私はいつものようにスペイバーンを訪れた。 しかし、この訪問では、グラハム・マクウィリアムと、退職したグループ蒸留所のディレクターであるスチュアート・ロバートソンに、テイスティングと蒸留所見学ではなく、マシュマンであるサンディ・リード、 蒸留責任者のハリー・メリスによるウイスキー教育へと誘われた。 私はウイスキーのために歌う必要はなかったが、確かにウイスキーのために働くことを義務付けられたのだ。 古い型の粉砕機を使用して麦芽を粉砕している、ミリングルームでサンディと落ち合った。1992年にインバーハウス社がユナイテッド・ディスティラリー社からスペイバーンを購入した際、彼らはマッシングをよりよいものにするために粉砕のプロセスを遅くすることを決定した。 ステンレス製のマッシュタンに最初の水が加えられ、マッシュの最終的な判断は、サンディのスキルと微妙な目盛りとバルブの操作に委ねられる。 マッシュタン側についているセンサーではなく、彼の視力と判断を使って、ゆっくりと水でマッシュを排出する。 良質なマッシングには、時間と温度が重要で、サンディは温度を65℃に安定するように調整する。他の多くの蒸留所とは異なり、スペイバーンはレーキ(熊手)でマッシュをかき混ぜて作らない。人々が紅茶を作るように、浸出によってウイスキーを作るのだ。 グリストは大麦に含まれる砂糖の約90%を抽出するために、お湯の中に漬けられている。 慎重に粉砕されて生み出されたハスクとグリストの適切な割合によって、下に大きな固まりとして沈むことなく、マッシュの中で独自の断層をつくりだしてバランスよく蓄積される。 この丁寧なミリングとマッシングによって、大麦から砂糖の良好な抽出を可能にし、ウォッシュバックでのより良質な発酵をもたらす。 2番目と3番目の温水の抽出でマッシュから最後の砂糖を抜き取った後、サンディはその麦汁をタンルームに送って発酵を開始し、そこで残った使用済みの穀物(ドラフ)をトラックに積み込む前に私に見せた。これは特に楽しめるものではない。 ドラフが砂のように見える場合、甘い麦汁がすべてマッシュタンから完全に排出された証拠であるという。 それが平らになっていれば、排水は不十分で、甘い麦汁が比較的多くグリストに残されているという。 今日のそれは完璧であった。私は、サハラの砂丘のように見えた事をサンディに報告した。 タンルームでは、最新のマッシュの甘い麦汁が、カラマツ製のウォッシュバックの1つに満たされていたが、少し前のものも含め、5つのウォシュバックで発酵が続けられていた。 いくつかのウォッシュバックでは、発酵により発生した炭酸ガスが高く上がりその蓋を上下させ、時折その泡が木製のウォッシュバックの端にこぼれ出していた。 他の槽では、発酵のプロセスを終えて、静かに銅製の蒸留器への移送を待っているものもあった。 サンディはウォッシュバックの間を移動し、発酵の工程にすすむ準備ができた、先ほどの麦汁に酵母を加える。 彼は他のウォッシュバックからサンプルを引き出し、それぞれの比重を調べて、それの落下具合で、アルコールが生成されているかどうかを確認した。 ウォッシュバックの1つは、2日間発酵されたウォッシュを含有し、最初の蒸留のためにウォッシュスチルに移す準備ができている。 スチルルームには2つのスチルがあり、その両方は背が高く、エレガントで細いネックを持ち、なだらかな曲線の肩を持つ貴婦人で、ウエストは見えないようになっている、 ハリー・メリスは少し狭い部屋を管理し、サンディが管理するミル・ルーム、マッシュ・ルーム、タンルームほどの広さはないが、彼と同じように、目盛りとレバーに集中して作業に従事している。 初めの蒸留は、ウォッシュスチルによって、できる限り素早く蒸留する。 これは第二の蒸留によって、ウイスキーのほとんどのキャラクターが形成されるからである。 スピリットセーフに蒸留液が流れだすと、ウイスキーが71%のアルコールに達した時点でミドルカットを開始し、56%に低下すると終了する。 これらのパーセンテージは、スペイバーンのシングルモルトのキャラクターが形成さように試行錯誤して、決定された歴史的な数字である。 スペイバーン蒸留所の最も特徴的な機能の1つは、他の多くの蒸留所が好む、直立式コンデンサーの代わりに、銅製のワームタブ(長さ104m)を使用することだ。 スピリッツがワームの長さに沿って進むにつれて、普通よりも長い時間銅と接触したままであり、蒸留からゆっくりと解き放たれる。 それは時間を要するが、柔らかいタッチと上品さを生み出す。 そしてこのプロダクションの最後の仕事として、リフィル・シェリーとバーボンカスクによって熟成される。 通常10年間熟成され、ハーブ様で、バブルガムのような、甘いアロマを持つスペイバーンを作り出す。 フレーバーは梨、リンゴ、キウイ、メロンのような爽やかな果物で、ドライで柔らかいフィニッシュを持つ。 スペイバーンでの蒸留には、穏やかに大麦から、ウイスキーを引き出すための伝統的技術が要されるのだ。 スペイバーンのドラム式麦芽乾燥機は1960年代に使用が廃止されたが、まだ1897年の古い鋳鉄製の扉の上にはっきりとマークされた麦芽の納屋に静かに佇んでいる。 スペイバーンは、大きな変化を成し遂げていない。 蒸留所にはまだ木製の麦芽貯蔵箱と、木製のウォシュバック、木製のスピリッツレシーバー、伝統的なマッシュタンと銅製のワームタブを使用している。 プロセスの大部分は、100年前と同じまま、まだまだ機能しているのだ。 蒸留のどの部分もコンピュータ制御されておらず、このプロセスは、過去1世紀中に渡って、スライドやバルブに施されたマークを頼りに行われる。 スペイバーンで働く人々は、ここで生産されるウイスキーだけでなく、それを生産するために使用された、伝統的な技術や、健全な設備の保持のために確かな誇りをもっている。 マックウィリアムズによって受け継がれる、アナロジーはソッピースキャメル(イギリスの複葉戦闘機)に似ている。 それは、常にキーキーと音を立てるバルブの微調整や、製品の絶対的な知識と細部に対する多くの注意を必要とする。 小さなスペイバーン蒸留所は、ジャンボジェットが横行する世界であっても常に複葉機のままであるのだ。

1897
稼働中
Rothes, AB38 7AG
スペイサイド