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ロッホローモンド

ソサエティ初ボトリング 2004年
スコットランド民謡の“ロッホローモンド”に登場する、Bonnie Banks(美しい丘)とBonnie Braes(美しい入り江)は、さらに北に数マイルのところにあるが、それは知る由もないだろう。 アレキサンドリアの街のわびしさを象徴する、シャッター街と、新しくできた小さな住宅街がそこにある。 好景気の波は、ダンバートン州までは届いてないようだ ロッホローモンド蒸留所を初めて見た時と同様に、重苦しい雰囲気をもっている。 舗装されていな道路を進むと高い洞窟が目に入り、積もった汚れと老朽化によって今にも壊れそうなレンガ造りの熟成庫が目に入る。 これは最近起こった火災が原因で、2000樽ものウイスキーが燃焼し、消防士の消火活動中に発見された、多くのウイスキーの樽は、隣接するリーブン川に一時的に避難させられたという。 明らかに稼働している蒸留所であり、気持ちばかりのビジターセンターを設けてはいるが、外観を見ただけでは判断できないだろう。 ダンバートンという言葉は、古代英国人の砦を意味し、クライド川の中流に浮かび上がる火山岩が、そこに集う人々に回復の力を与えているという。 ロッホローモンド蒸留所は今まさに、再生のために懸命に働いている。 アレキサンドリアの最新の事業として、スコットランドで初めて作られた工業団地を歩くと、英国最初の自動車製造工場の1つである、アーガイル・モーター社の石造りの建物が目に入る。 その街の栄光の記録は、蒸留所の壁にかけられている写真で確認することができる。 蒸留所そのものが、18世紀にあったキャラコの染色工場から転換したものであることで、豊富な証拠をすでに提供している。 現在のスチルは、古いキャラコのボイラー室があった場所に位置し、そこには石炭を持ち込んで使用していたという、経費記録が残っている。 ここで働く人々は、自身の創造性に自信を持ち、柔軟な対応力をもって経済的な変化の中で生き残ってきたという自負がある。 このような精神は、現在のマネージングディレクターを務めるミッチェル・ソルビーにも受け継がれている。 少し前の調査で、1963年にバートンディスティラリーカンパニーとダンカン・G・トーマスによってその土地が購入された際、ミッチェル・ソルビーが、最初の現場技術者およびプラントマネージャーとして33歳の若さで管理を任命されたことが明らかになった。 彼はモルトウイスキー蒸留所を一から作ったことで、全ての工程を理解していると言える。今も彼はここで、34年後の急速に拡大した事業の指揮を執っている。 彼はインタビューを受けることを躊躇したが、蒸留所の歴史を明らかにしたい熱意と利害が一致していたことで快く承諾してくれた。 彼は1963年に与えられた任務に、やりがいを見出したと言う。 1966年3月9日に行った第1回目のマッシュの成功を足切りとして、9月2日に蒸留所の開業にこぎつけた。またその蒸留所が、英国初のドライグレーン工場であったことも誇りに思っていた。 ダンカントーマスによって取り入れられた、蒸留に対するビジョンと、普遍的なアプローチに高い信頼性を付随していったのである。 トーマスが60年代後半に亡くなったのち、バートン社が完全に操業を引き継いだ。 しかし、80年代に起こった業界の急速な減速のあおりをうけて、1985年に蒸留所は一時休止状態となった。 「これが彼にとって絶望と挫折の時であったか?」とミッチェル・ソルビー氏に尋ねたが、「業界の人間にとってはそんな暇はなく、笑って、それを耐えるしかなかった」と語った。 その後、1980年代後半にサンディ・バロック氏が蒸留所を購入したことによって復旧された。 サンディとミッチェルは30年以上にわたる知り合いで、ミッチェルはスコットランドに残る、唯一の第一世代の、家族経営による蒸留所であることを誇りに思っていた。彼は本物の人々のために働くのが好きだと付け加えた。 プロダクションディレクター、ジョン・ピーターソンが管理するオフィスビルは、蒸留所のある場所から少し離れたところにある。 ロングジョンを蒸留する前に、醸造研究化学者であった彼は、1990年にロッホローモンドに辿り着いた。数年後、彼はモルトウイスキー蒸留所の生産能力を倍増させ、サンディ・バロックのお金を1500万ポンド投資し、ユニークに設計されたグレーン蒸留器を作った。 年間生産量150万リットルのモルトウイスキーと、1000万リットルのグレーンウイスキーを収容する為の、アメリカのバーボン樽が組み直されている樽工場の騒音とは対照的に、生産管理室は静かで穏やで、グレーン蒸留所の運転を絶えず監視しているコンピュータスクリーンの光で照らされている。 モルトウイスキー蒸留所は、依然として伝統的な方法で運営されている。 その生産に大きな責任を任されているジョン・ピーターソン氏は、控えめな性格ではあるが決断力のある男で、製品の品質については絶対の自信を持っている。 ウイスキーの専門家であれば、ロッホローモンドで作られるウイスキーのインチマリンとオールドロスデューの2つだけの記録をもっており、 それらは現在、ソサエティのためにボトリングされている。 インチマリンはロッホローモンドにある島からその名前が付けられている。 驚異的な85.6 %でスチルから出てくる、スコットランドで最も強いスピリッツは、クリーンでライトなウイスキーとなる。 夏のカジュアルな飲み物として理想的ではないだろうか。 一方、オールドロスデューはあまり激しく蒸留されておらず、重たいオイリーな成分の一部を保持して味の深さを与えている。 蒸留所の本当に興味深い特徴は、同時に2つのウイスキーを生産する能力と、スチルヘッドの整流器が、同じスチルの中で異なる時間に、異なるウイスキーを製造するように改造されていることである。 現在、他の4種のウイスキーが年間を通して蒸留されている。 ヘビーピテッド麦芽を、使用するのはクロフテンギアのみで、ヘビーピート麦芽を使用するだけでなく、オールドロスデューのように蒸留され、より重い油分を保持させる。麦芽の量を変えることで作りわけられるグレンダグラス、クレイグロッジ、インチモーンは、ロッホローモンド独自の独特な香味を開発しているため、まだ市販されていない。 エリザベス・ベルは1997年夏のソサエティニュースレターで、「ローモンドスチル」の優れた説明を書いた。ローモンドスチルは、ロッホローモンドの姉妹蒸留所のインヴァーリーヴン蒸留所で開発されたが、ロッホローモンド蒸留所は単純にコピーしただけでなく、技術力を味方につけ進化させたもの導入した。 ロッホローモンドのローモンドスチルの精留塔の多孔板は、異なる設計となっており、元の「ローモンドスチル」で可能であった蒸留よりも、逆流をより繊細に変えることができるという。この技術の導入によっての先ほど挙げた、新しいウイスキーの開発は待ち遠しいものだ。 ロッホローモンドは、グレーンウイスキーとモルトウイスキーを、同じ敷地内で蒸留しているスコットランドの唯一の蒸留所である。 工場や開発に多額の投資をしており、マーケティングに注目が集まっている。 ガヴィン・ダーリンは最近、セールス&マーケティングディレクターのポストに任命され、蒸留所のPRプロファイルを作成する必要性を意識している。 今現在も仕事を学んでいる立場にありながら、彼はすでに、若い世代の間でのウイスキー消費の減少と、10年後の蒸留所のウイスキー市場がどのようなものかを懸念している。 現在利用可能な大まかな資本は、古い倉庫の建物の取り替えに使われることになり、数千人の観光客が近所の工業地帯を訪れ、ビジターセンターを利用できるようになるには、しばらく時間がかかるかもしれない。 その間、彼は蒸留所の促進に少しでも役立てるよう、忍耐強く努力を続けている。 彼は普段からキルトを身に着け、彼のマーケティング戦略に「ブレイブハート」のような大胆さと驚きが求められていることを知っている。 蒸留所を訪問した人々は、帰る際に来た時と非常に異なる印象を受ける。 不思議な外見の建物の中では3人の男たちが、彼らの精神と想像力、そして野心を持って、そのユニークなスピリッツの繁栄と生き残りのために誠心誠意努力している様を見られるからだ。 この蒸留所は、ハイランドライン(ハイランド、ローランド境界線)から数ヤード北に所在し、ウイスキーは現在「ハイランド」のモルトとみなされている。 しかし彼らの見解として、インチマリンはハイランドにもローランドにも属さず、別の認識を持つべき価値があると主張する。 ソサエティの会員は、その主張を自分自身で判断することができるだろう。

1965
稼働中
Alexandria, G83 0TL
ローランド