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ノッカンドゥ

ソサエティ初ボトリング 1993年
台帳からコンピューターまでに至るノッカンドゥ ストーリー アンソニー・トゥルーンは、ワードローブに40着のキルトを保有するスペイサイドで伝統的な基準が、今もまだ生かされている蒸留所を訪ねた。 私は、ノッカンドゥ蒸留所のマネージャーオフィスで古い台帳を見せてもらった。 そこには、1898年5月30日から記された、そこには細い手書きの文字で、それがどのように始まったかを示す数字が記されていた。  麦芽:224ブッシェル ウォッシュ:4484ガロン 貯蔵量:0 残留フェイント:0 この記録から、以前の蒸留で得たフェイントがないという事実が見てわかる。 これは世界中でもよい評判を得ている、このノッカンドゥ蒸留所で初めて生産されたモルトウイスキーの記録である。 革紐で閉じられた、荘重で高雅な趣のあるノッカンドゥの台帳は、スコットランドの古き良き時代の廉潔さを証明する、素晴らしい手がかりとなるものであった。 それらは解体される予定であった納屋で発見された。 その細部にわたって、綿密に書き出された数字は、新しく創業されたモルトウイスキー蒸留所の始まりの希望と不安のすべてを書き示している。 私がその重々しい台帳をめくりはじめると、ノッカンドゥのマネージャーであるイネス・ショウは電話をとり、彼のコンピューターに移動した。 彼はパソコンにログインし、無線電話で指示の交換をおこなった。 そうして、コンピューターは大量の統計をまとめ始めた。 また新しい世紀が終わりに近づいている。 ペンとインク壺を使用して記録していた時代から、マイクロチップで管理されるようになった、技術の驚異的な変化を通しても、基本的には同じ素晴らしいウイスキーについての、同じような話をしている。 ノッカンドゥの村は遠く、美しい。そこにある小さな集落の間を抜けると、業界にとっても重要な影響をもたらしている場所にたどり着く。その近隣に存在する3箇所の蒸留所で作られるモルトウイスキーは、世界中で大規模に販売されている、ブレンデッドウイスキーの原酒として使用されている。 ノッカンドゥで作られるウイスキーのほとんどは、世界で2番目の売り上げを記録しているJ&Bに使用される。またカーデューは世界で1番売れている、ジョニーウォーカーに使われ、タムデューはフェイマスグラウスの重要な核となるウイスキーを生産しているのだ。 エルギンのスピリッツブローカーであったジョン・トンプソン氏によって創業され、ノッカンドゥの台帳に最初の記録が残された時代には、このような商業的な影響力が賞賛されていたわけではなかった。 実際、彼自身は長くその果実を味わうことは、出来なかったのである。 業界にとって大変苦しい時代でもあり、蒸留所は2年後に製造を中止し、1904年にW&Aギルビー社に3,500ポンドという破格で売却された。 蒸留所の敷地に足を踏み入れると、まるで別の村に来たような感覚をもたされる。 労働者のために建設された(元々は、収税吏の住居として使用されていた。)トリムコテージがある。それを見渡せる場所に、少し大きなマネージャーの管理棟が建てられている。 1898年の蒸留所開設に関する記事には、二人の建築請負業者のうちの一人が 「イネス」として登記されている。 ノッカンドゥ現蒸留所マネージャーの曾祖父にあたる人物である。 イネスの曾祖父には3人の息子がいた。1人は、彼の製作業を引き継ぎ、もう一人は、クラガンモアのマネージャーになった。そしてもう一人は収税吏になったという。 ウイスキー産業がいかに、この時代の社会や経済に大きな影響力をもっていたかがみてとれる。 現在、ノッカンドゥ蒸留所はインターナショナル・ディスティラーズ&ヴィントナーズ社の一部であり、ジェスティリーニ&ブルック社によって運営されている。 ジェネラルマネージャーのイネス・ショウは、直接ウイスキー産業に参入したわけではなく、初めはアバディーンで電気・電子工学を学んでいたという。 彼は「エンジニアリングは問題の解決に非常に役立つ」と口数少なく言った。 しかし、大量ではないにしろ、効率的に、年間190万リットルのアルコールを生産しているノッカンドゥが持つ問題点を、我々が見つけ出すことは難しい。 親会社がブレンドに関与するほとんどのモルトウイスキー蒸留所とは異なり、ノッカンドゥはJ&B Rareへの供給と、それ自身のシングルモルトのボトリングに専念している。 したがって、ソサエティ向けのボトリングは希少なものとなっている。 シングルモルトのボトリングには約400の樽が選ばれる。 選ばれた複数のウイスキーは、約3ヶ月間「マリッジ」されてからボトルに入れられる。通常、ラベルには蒸留年と、ボトリングの年が記載されている。 これにより、蒸留者はウイスキーがピークに達した時期を判断して12〜14年の間で熟成期間を変えることができる。 1969年、蒸留所は部分的な再建と、スチル2組の追加によって、生産量を増加させた。 そして台帳には、以下のことが特定されている:ライトリーピーテッド麦芽は、スコットランド産の大麦でなければならない。通常、ブラックアイルまたは、東ロージアン産のものを使用する。これは25トンの荷積みで供給され、30トンの容量を持つ8つのビンに保管される。 マッシュタンに向かう前に、4つのローラーを持つポルテウスミルで粉砕されたグリスとは、1921年以来、バーミンガムのW・T・エイヴリー社製の忠実で単純な、小さな装置によってその重さを秤量されている。 それは1バッチに対して40キロのグリストを測定し使用するので、106のバッチに必要な4.24トンのグリストをマッシングに供給することになる。 そこで作られた麦汁(ウォート)は、木製のウォッシュバックに19℃の温度で投入され、46時間の発酵によって33℃まで上昇する。 その後、スチルルームに移動される。 ノッカンドゥのウォッシュスチルは、3つのスチームケトルによって内部が熱される。スピリットスチルは同じ仕組みのものが4つある。 ミドルカットを3時間実行している間は、より高濃度のアルコールのみを回収するために、スピリッツの温度をできるだけ下げることが重要である。 それらを貯蔵する、第3熟成庫は、伝統に忠実に従って作られている。 土の床はゆるやかに石で覆われており、バレルは3段の高さ、バットは2段の高さに積まれて熟成される。 元倉庫の一つは、多大な費用をかけて広々としたビジターセンターに転換されているが、ノッカンドゥでは観光客を受け入れることはしておらず、ここに来るゲストは国際的なウイスキー取引の関係者のみとなっている。 これは、新市場を開拓しようとするノッカンドゥの決意を示すものであり、エレガントなスタイルのウイスキーを守ることにも一役買っている。 ここには40着のキルトをもつワードローブが備えられている。 ゲストはズボンを脱ぎ、それらを試着するように説得される。 スコットランドの民族衣装を身のまとった、イタリアの輸入業者40人がこの場所にいることは、ジェームストンプソン氏の考える未来には、組み込まれていなかったかもしれない。 しかし、彼はそのような未来を願っていたかもしれないのだ。

1898
稼働中
Knockando, AB38 7RT
スペイサイド