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グレンマレイ

ソサエティ初ボトリング 1987年
エルギンの古典的作品 “エドウィン 頭蓋骨の話をしてほしい。” エドウィンに興味深い話をもう一度聞くためだけでなく、私の「ふくよかな愛しい淑女」を訪ねること。 そして古くから馴染みのあるグレンマレイ蒸留所の新たな一面を発見するために私は再度グレンマレイを訪れた。 何年も前に、私がグレンマレイの市場を発展させる仕事を請け負って以降、ほとんど変わっていないようである。 私が蒸留所を最後に訪れてから数年が経つというのに、1974年以来、蒸留所長はエドウィン・ドンソンのままであった。 グレンマレイ蒸留所は、今年の9月に100周年を迎える。 蒸留所として100年、醸造所としてはその何年も前に遡り、その町には80人以上の醸造家が住んでいたという。 合併される以前、エルギンは紛れもなく北の首都であった。 バルト諸国との盛んな貿易によって、特にビールやアクアヴィテの貿易で得た富は源泉を豊かにしていた。 醸造が栄えた理由は周辺地域の豊富な自然が起因している。 マレイ州のレアック地方は、「スコットランドの穀倉地帯」としても知られている。 マレイ湾に沿った海岸平野のレアック地方は、豊かな収穫を生み出す、穏やかで気候の良く、マレイ州はスコットランドの他のどの地域よりも夏が40日間ほど長くあるという。 私が訪問した時は、あいにく激しい大雨が降っていた。 それでも、モスクワより少し北の、北緯58度に位置する地域にしてはましなものであった。 蒸留所とその敷地は歴史に深く関係している。 蒸留所に抜けるエルギンの古い道は、「聖コルンバ」、「エドワード一世」、「ハンマー・オブ・ザスコッツ」、街の大聖堂を焼いたウルフ・オブ・ベイドノック、マクベス、などの名前とともに語られるような国家の栄枯盛衰、勝利や災厄の流れを何世紀にも渡り見てきた。 エルギンは今でこそ、世界の中心として語られるような場所ではないが、モルトウイスキーの首都と呼ばれるに相応しい場所である。 グレンマレイ蒸留所のスピリッツはこの地域の典型的な味わいを持っている。 ライトで芳醇、複雑さとエステル香を持ち合わせた、まさにスペイサイドの蒸留酒の美徳を褒め称えるものである。 グレンマレイは通常、12年と16年のどちらかで、優雅な青色のパッケージで見つけることができる。 インヴァネスの道から覗くと、低い屋根の伝統的な貯蔵庫(50,000樽貯蔵)と大きな黒い1960年代の穀物庫(すぐに改装される)が見える。 蒸留所を見つけるのは少し苦労し、多くの人は住宅地の奥のくぼ地に潜んだその存在に気づかないかもしれない。 グレンマレイには小さくて魅力的な中庭があり、そこからツアーが始まった。 蒸留所は非常にコンパクトで、元の醸造所の建物を最大限に活用している。 私たちはフル稼働しているグリストミルから見学を始めた。 私が生まれる前にグレンマレイ蒸留所で仕事を始めたドッド・グラントは、ちょうどグリストのサンプルを取っていた。 ドッドの本業は122年間引き継がれてきた4人のスチルマンのうちの一人で、エドウィンの働き方改革の一環として、従業員に幅広い技術の習得のためマッシングの技術を学んでいた。 彼は数年後の2000年1月1日に退職する予定で、その時には盛大なパーティが催されることだろう。 私たちはマッシュ・ルームに移動し、最初の水がちょうど追加されたステンレス製マッシュタンに移動した。 温かい麦芽のお粥の甘い香りは、空気中に充満していた。 これは週14仕込むマッシュのうちの1つである。 マッシングに使われる仕込み水は、デュー・ムーアから流れでる井戸の水を使用する。 麦芽自体が軽くスモーキーであるが、興味深いことに、水からくる泥炭のフレーバーをスピリッツに追加する。 狭いスペースにある5つのステンレス製のウォッシュバックに移動した。 その香りは、かつて私が自家醸造をしていた時を思い起こさせた。 "これはうまくいっている"とエドウィンは言った。 そこで私は蓋の開かれたウォッシュバックに近づいた際に、二酸化炭素ガスの洗礼を受けた。 次の部屋まで歩いて行く際に、バーボンの蒸留所が、古い銅製スチルでのバーボン作りを見直すために、彼が米国に招待されていると教えてくれた。 米国の蒸留の初期の記録は見つけるのが非常に難しく、エドウィンの専門知識は彼らの新しいスチルの導入の際に求められた。 スコットランド人であるエライジャ・クレイグ牧師がアメリカで最初のバーボン・ウイスキーを蒸留したのは1789年で、歴史は再び繰り返されている。 スチルルームでは、スチルが蒸留作業の終わりに近づいていた。 2つのウォッシュスチルは太いタマネギの形をしており、スピリッツスチルの形は同じであるが、ウォッシュスチルより小さくてエレガントである。 部屋の角には1897年と刻まれた初期のスチルの重いガンメタル製のドアが置かれている。 これらのドアは、人々がスチルを掃除するために木製のスティックで開いたままにしていたというが、その重さを考えれば、自分の首をそこに持って行くようなことはしたくない。 蒸留を終えたスピリッツは、ちょうど2つの輝くスピリットセーフを通過していた。 1年間で約1,850,000リットルのアルコールが、このスピリットセーフのガラスを通過する。 私たちが保税倉庫に歩いて行く時はその話をもう一度聞くチャンスであった。 倉庫の1つは2人の処刑執行人の仕事場であったガロウクロックの丘の影にある。 ここでは、殺人犯、泥棒、魔女たちが吊るし上げられ処刑された。 記録によれば、処刑された者の屍体は、腐敗してバラバラに崩れ落ちるまで晒されて吊るされたという。 このようなひどい行為は17世紀後半まで続けられたが、絞首に使われたその柱は、20世紀になった今でもまだ見ることができる。 倉庫NO1は現在よりも3フィートほど低く、氾濫の危機にさらされやすかったという。 1960年代初頭には、上にある丘の土を利用して、その高さを上げることが決められた。 職人が丘を掘った際、彼らは7個の頭蓋骨を発見したという。 1975年に引退した、当時、醸造家であったデービッド・マティソンが頭蓋骨を調べると、頭の後ろに穴があり、耳の後ろや顎に残された失敗した形跡が見られた。おそらく、執行人は出来の悪い弟子たちの後始末をしなければならなかったのだろう。 頭蓋骨に哀れみを抱いたデービッド・マティソンは、彼に最後の外出を楽しんでもらおうと、ダッシュボードの上に慎重に置き、車でエルギンの変化を見せて廻ったという。 そして倉庫での仕事を終えた後、頭蓋骨は安全な場所に埋め直されたという話をエドウィンは、ウェアハウスNo.1の扉が開かれ、寒くて湿った空気、オークやスピリッツの香りが我々を迎えると同時に終わらせた。 床は土で、天井は低く、カスクは三段に積み上げられていた。 伝統的な倉庫は、ほの暗い環境の中で空気、オーク、スピリッツの相互作用において適切なバランスを提供し、ウイスキーの熟成のために最高の環境とされる完璧なものであった。そしてその暗がりの角に、私の4人の「ふくよかな愛しい淑女」が並べられていた。その美しい曲線をなで、確かにそこで安らかに眠っていることを確認した。 ソサエティはスペインにて素晴らしいシェリーカスクの数々を厳選してきた。 私たちは、グレンマレイに新しいスピリッツを満たすためにいくつかのメッセージを送った。 しばらくの間ソサエティメンバーを黙らせるに値する十分なウイスキーを、シェリーバットよりも大きめの600リットル保持するこれらの「ふくよかな愛しい淑女」にふさわしい形で詰めてもらった。 唯一悲しく感じるのは、暗闇で眠るこれらの素敵な女性たちが彼女らの秘密を明らかにするまでに私たちは皆、年を重ねてしまっているということだ。

1897
稼働中
Elgin, IV30 1YE
スペイサイド