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カリラ

ソサエティ初ボトリング 1988年
美学と見晴らしを備えたテクノロジー ビリー・スティッチェルの一族は3世代にわたってウイスキー産業に籍を置いていたたが、ビリー自身は別の森林局に加盟した。 彼の曾祖父ダンカン・マッカラム、そして彼の祖父と父親もカリラ蒸留所で働いたという。 1972年、ビリーは森林局に委託された古い蒸留所とその周辺の解体工事に同伴し、カリラにある古い埠頭の工事を手伝っていた。そこで、ウイスキーが彼の血筋であり、森林局にはなかったことを自覚したのである。1974年に解体された場所に新しい蒸留所が建て直されると、彼はカリラで仕事をし、蒸留に関する実践的な教育が始まった。しかしウイスキー産業に関する理論的教育は、家族の話を通して何年も前から始まっていたのである。 現在ビリー・スティッチェルはカリラのプロダクション・マネージャーを務め、蒸留所でその仕事と責任を学んできた。 カリラへ行くには、小さな家の集合帯の中を通り、サウンド・オブ・アイラ(アイラ島とジュラ島を挟む細い海峡)に向かって丘を下っていく。この道はビリー・スティッチェルが通勤のために毎日通る場所であり、世紀の初めころに祖父が使ったものと同じルートである。白い古い倉庫は、今でもサウンド・オブ・アイラの水面に映っている。 しかし、その古い建物とは対照的に、蒸留所は驚くほど近代的な建物であるのだ。蒸留所は、ビリー・スティッチェルの先祖たちが知るものとは全く異なる場所となっていた。1846年に、ヘクター・ヘンダーソンによってビリーの祖父たちが知る古い蒸留所が建てられた。創業者のヘンダーソンは、ロッホ・ナム・バンの良い水源に近く、地元の泥炭床に近い場所に蒸留所を立てようと考え、パプス・オブ・ジュラを見下せるサウンド・オブ・アイラの孤独な入り江の麓に蒸留所と倉庫を建てた。 19世紀からこの場所は美しく、現在もほぼ変わっていない。 残念なことに、ヘンダーソンの事業は失敗し、ジュラ蒸留所の所有者がすぐにカリラを獲得した。 1863年にブレンデッドウイスキーの人気がシングルモルトの需要を高めており、ウイスキートレーダーであるバロックレイド社はウイスキーストックの在庫拡大のためにカリラを購入した。 およそ60年間にわたり、バロックレイド社は蒸留所の改良を重ねて拡大し、収益を上げ、遠隔にあるこの蒸留所は忙しい場所となった。 石炭と空の樽を蒸留所に運ぶ優雅な帆船の写真が蒸留所に飾ってある。それらの船や大麦を輸送するダッチボートは、他のセーリング船やニシン漁船の間をかいくぐって移動していた。 第一次世界大戦後の困難な時期には企業家のグループが会社株式としてカリラを創業し、1927年にディスティラリー・カンパニー・リミテッド社(DCL)が蒸留所を買収した。 カリラは第二次世界大戦中には閉鎖されていたが、それ以外は1972年までDCLの傘下としてシングルモルトを生産し続けた。 70年代初頭、ウイスキーブレンダー達はカリラに卓越性を追求したが、残念ながらその古い建物で生産されたウイスキーの品質は芳しいものではなかった。 DCLは古い貯蔵所は残そうと考えたが、蒸留所の複合施設は取り壊して再建する決断が下された。 一世紀以上かけて作り出した伝統と生活様式の集大成であった蒸留所の最後であった。 1972年、最後の帆船が古い木製の桟橋を出港した。 木製の桟橋と建物のあった場所は更地となり、2つのパゴダ屋根が粉々に崩壊され、再建には約2年の時間を要した。 当初から、この新しい蒸留所が岩壁の多い海岸線の一部に見えるように丘の中腹にぴったり合うように設計された。 サウンド・オブ・アイラの水面から上昇しているように見える4つの輝く銅製のスチルを展示するガラスで覆われた巨大なファサードが蒸留所の顔となった。 過去を連想させるように底面と肩部が取り付けられ、完全に組み立てられた状態の銅製のスチルが艀に乗って新しい桟橋に運ばれた。労働者は、タマネギ型のスチルを所定の場所に降ろし、ネックとコンデンサーを設置し、それを取り囲むように新しい蒸留所を建設した。 1974年に再建された、新しいカリラ蒸留所は、近代的な蒸留所であり、効率性だけではなく美的要素にも配慮されて設計された。 その例としてカリラ蒸留所の建物には不必要な切れ目がない、大きくて魅力的ではあるが、外観的には芳しくない穀物用エレベーターを持たない為である。 古い手法のように重力の力で穀物をマッシュタンに落とすのではなく、カリラの穀物をエレベーターで1階から上部にあるマッシュタンに移動させる。 マッシュタンとウォッシュバックは論理的に1つのフロアに配置されてあり、一連のの操作がスムーズに移行される。 銅製のドーム型のマッシュタンは、明るい色に塗装された輪留めをあしらえた8器のダークパイン製のウォッシュバックを背景に設置されている。 実際この陣形は確かにカリラの機能を反映している。 プロセスが行われる順に並ぶマッシュタンからウォッシュバックまでの工程を容易に目で見て理解できる。 カリラの木製ウォッシュバックの発酵には、麦芽に高レベルの泥炭が使われているため、十分な注意が必要となる。泥炭はウォッシュをより酸性に仕上げる。これは酵母によっておこる環境とは無関係である。結果的に、マッシュマンは、酵母が生存可能な酸性度とウォッシュの温度の微妙なバランスを注意深く維持する必要がある。ウォッシュが蒸留に移行される前の50時間の発酵の間に温度が高すぎることは許されないのである。蒸留が行われるカリラのスチルルームは間違いなく「王冠の宝石」の立場を担っている。 それは驚くほど人目を引く部屋に、6つのスチルがサウンド・オブ・アイラを見下ろすように巨大なガラス窓の後ろに鎮座しその背後にコンデンサーが直立不動に取り付けられている。これらのスチルは技術的にも美観的にもすぐれたものであり、70年代に新しく建てられたものであるが、古い蒸留所から置き換えられたものの正確なレプリカとなっている。ウォッシュとスピリットの両方のスチルは、玉ねぎの形状が類似しておりクビレはなく、下向きに傾いたラインアームを持つ。 スピリットスチルは、短い太いネック部分が若干、背が高い点でウォッシュスチルとわずかに異なる。これらのスチルをみると、力強くフルボディなフレーバーのウイスキーを生成することが明確である。 カリラは同じ島で作られるラガヴーリン、ラフロイグ、アードベッグほど重厚ではないがピートが使用さており、香りは微繊であまり主張は強くないものの、時間の経過とともに頭角を表す傾向をもっている。 カリラはシングルモルトのほとんどをバーボン樽で熟成させ、少量はシェリー樽で熟成される。カスクでの経年による熟成を管理しやすく、非常にうまく熟成がフィットしているウイスキーである。 興味深いことに、SMWSパネラーによってテイスティングされたカリラのサンプルの品質は、熟成年やカスクの種類にかかわらず一貫して高い評価を受けた。 ヘビリーピーテッド、沿岸部の潮っけ、美しいスチル、またドラマティックな環境と組み合わさったカリラは確実に優れたシングルモルトに仕上がることが予測できる。

1846
稼働中
Port Askaig, PA46 7RL
アイラ