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アードベック

ソサエティ初ボトリング 1986年
“アードベッグ”とその名前を囁くだけで、およそ百万人のウイスキー愛好家たちは涎を垂らし、千の鼓動が脈を打つであろう。
1996年にアライド・ドメック社によって蒸留所が閉鎖されたその時から、人々の心は止まったままになっている。
150年間、世界中の人間に最も愛され、崇拝された蒸留所に対する“死亡宣告”であった。
何年もの間、アードベッグはアイラのスーパースターであるラフロイグの第二翼を努めていた。
アイラウイスキーの伝統的な、泥炭由来のスモーキーな素晴らしい液体は人々の心を奪っていた。
たとえアードベッグが、ラフロイグより優れたウイスキーであったとしても、小規模な蒸留所であったアードベッグに資金を投入することは、商業的に意味をなさない。
同社は四半世紀の間に何度も議論を重ね、アードベッグを単に放置して閉鎖にもっていくべきだと考えていた。
自社のラフロイグの競争相手を少しでも減らし、その売り上げを伸ばす方が得策であると考えられたのだ。
しかし世間はそれをよしとしなかった。そしてアードベッグは売却されたのだ。
そこでアライド社は売却によって2つの面で恩恵を受けることができると考えた。
一つ目は必要とする現金を多く受け取れること。
二つ目は、別会社による何百万もの広告などの資金投入によって、島への訪問者を増やし、アイラ島の妥協を許さないウイスキーの素晴らしさとともに、島の自然の美しさに人々の意識を引き付けられると考えたのだ。
新しいオーナーであるグレンモーレンジー社は、そこに出し惜しみをすることはなかった。
蒸留所はすぐに操業を再開し、限られた量ではあったが2種類の新しいアードベッグが販売された。 – 熟成庫にはほとんど在庫がなかったのだから仕方がない。
何年か前に1963年のアードベッグの樽がトラックに積み込まれるのを見た。
それらはブレンド用なのか、他社のボトリングするものなのか、名前が明かされないにせよ、いつかどこかでそのアードベッグに出会えると考えると嬉しかった。
私が訪れる度次々と建物が壊され、更地にされていき、倉庫もガラリとしていた。
私はそれを見るたびに胸を痛めた。
私にとってアードベッグは、地球上で最も美しいバランスの取れたウイスキーである。いかにバランスがいいかということは、言葉ではっきりと表現することはできないが、私自身の鼻や舌の感覚でのみ定義できるのだ。

私は今後の人生において、あの暖かい7月の早朝を決して忘れることはないだろう。
真夜中が過ぎ、満月の光が蒸留所からアイルランドのアントリムとスコットランドのキンタイア半島まで伸び、静かな水面に銀色の輝きを放っていた。
メンフクロウの母親がマッシュハウスに放置された麦芽を持ち去り、赤ちゃんフクロウに与えていた。
何年もの間、スコットランドで戦前のリベット打ちした最後のただ放置されていた栄光の古いスチルはスチルが、最初のスピリッツがコンデンサーを通り、スピリッツセーフへ運ばれた。

誰もが待ち望んでいたアードベッグは、ようやく復活を遂げたのだ。
アードベッグへの関心が高まるほど、グレンモーレンジー社はアードベッグを古い製法での製造に戻していった。
過去の元気なころのような強大なモルティングを取り戻すことは、すぐには不可能であるが、アードベッグで使われる麦芽はすべて1978年以前と同じようにアードベッグで作られている。
建物が復元されるのには、かなりの時間を要しているが、再び稼働させて起動に乗せることはまた別次元の問題である。
しかし、私たちには希望がある。
それは語り継ぐこと、そしてこの格別なウイスキーを、飲み続けることがアードベッグの再建の手助けとなるのだ。
そのため、数年間は忙しくなりそうだ。

1815
稼働中
Port Ellen, PA42 7EA
アイラ