ウイスキー概論

ウイスキー概論1 〜ピートとモルト〜

ウイスキーの製法は、原料大麦を発芽乾燥させて澱粉と糖化酵素を併せ持つ改質原料であるモルト(麦芽)製造に始まる。この大麦が発現する糖化酵素力は強力で、他の穀類ではこうはいかない。その大麦は古来中央アジアから西洋の主要農産物の一つであり気候環境がモルト作りを促し、パン・ビール・ウイスキー等の2次農産品の産出に繋がった。対して東洋では穀類原料を酒にするために必要な酵素活性をカビに求めた。なぜならば高温多湿な気候環境は穀類がモルトの如くに自らの糖化酵素を発現する前に、麹のような強い糖化酵素力を持つ外敵のカビ類が優先的に穀類に宿るためである。さてそのモルトであるが乾燥させることで腐敗することなく保存性を獲得できる。すなわち何時でも何処でも酒造りの原料に供することができるのである。ワインの原料ぶどうやウオッカの芋など水分の多い原料ではそうはいかない。嘗てスコットランドでモルトを乾燥させるための燃料としてピートを使用していた。現在は重油、石炭から熱風を作り乾燥させるなどの方法もとられる。スコットランドなどヨーロッパの大地は老齢期地形のため、一旦樹木を伐採すると地力がないため、森林の回復するのが容易でない。スコットランドの中世の頃までは豊富な自然林で覆い尽くされていた様子が美術絵画などに確認できる。その後製鉄燃料、産業革命時の燃料としての伐採でほぼ全土丸裸になったそうである。ケルトの信奉していたドルイド教において神聖なオークの森もである。スコッチウイスキーの黎明期である18〜19世紀のスコットランドは見渡す限り原野が広がっており、燃料はピートしかなかった。家庭の燃料もウイスキー用のモルト乾燥にも。ピートはヒース等の灌木の微生物分解を免れた木質が長い年月の間に土壌とあいまって堆積圧縮された草炭である。現地では粘土質のそのピートをスコップで切り出し、原野に野積みして乾燥燃料を作るのである。燃料としてのピートは火を付けてもポヤポヤと土の間におさまる炭化層が燃えるだけで火力が弱い。これが逆に功を奏して麦芽の乾燥には適した燃料であった。なぜならば麦芽に保存されている糖化酵素は高熱に晒されると失活してしまうためである。この乾燥に副生する特徴がピート香である。然るにこのピート香は昔のハイランドウイスキーには必然の賜物であったと思われる。ハイランドの農家の台所も依然としてピートを燃料にしているため、ピート香に溢れているのである。さながら日本の田舎の家屋が漬物臭に満ちていた頃のことを思い出す。今やピート香といえばアイラ産が有名であるが、ピートも産地によって植物が異なれば香味も異なると思う。一度アイラのピート採掘現場を視察したが、海藻の繁茂する海岸縁だったことが記憶に残る。ならば潮の香りのする海藻の堆積物もその地のピートを構成しているのでは?とロマンを抱いたことがある。まさに原料が歴史の堆積したケルトの大地に付香されるのである。ハイランドには黒い川の流れがある。掬い上げると茶色の透明な水である。水道からも茶色の水が出る。茶色い水の風呂に入り、茶色い水で紅茶を淹れる。色は茶色いが清純な水なのである。なぜかというと茶色の正体はピート層より染み出たポリフェノールで、抗微生物活性が強い。人体への影響はただピート香がついて回ること。澄んだ川の流れが日本人の心の象徴ならば、黒い川の流れはハイランド・ケルトの心の象徴か!

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細井 健二
細井 健二
ニッカウヰスキー勤務時代に余市・仙台・ベンネビス蒸溜所の技術指導、ブレンダー、マーケティング商品開発、ワイン・スピリッツはじめ総合酒類の開発に携わっており、官能的な総合評価だけではなく、分析的な知覚判断材料として機器分析にも精通しております。